TAKUDAI TRIVIA~拓大トリビア~

幻の停留所「拓殖大学前」とは!?

1971年まで、文京キャンパスのある茗荷谷には、都電(当時は市電)が走っていた。そして「拓殖大学前」なる架空の停留所が存在していた。というのは、近隣にあった「文理科大学前(現・筑波大学)」の停留所を、血気盛んな学生が「拓殖大学前」と書き換えた、と言われていたからである。「拓大は、ここにある。私たちは、ここにいる」ということを強く主張したかったのだろうか…。実際、その停留所は地理的に見ても文理科大より拓大の方が近かったようだ。実は、「拓殖大学前」と副称することを認めた東京市(現・東京都)の公文書もある。停留所名は半分公認されていたのである。ちなみに、都電は、山手線の走る大塚駅から茗荷谷、上野、錦糸町へと至るルートを走った。いまではそのコースをバスが通り、都電が走っていた当時の風景をうかがい知ることもできるだろう。