TAKUDAI PROFILE~拓大人物図鑑~

戦前日本を代表する政治学者。

東京帝国大学法学部政治学科を経て、同大学で政治学者としての道を歩む。戦前は30代の若さで近衛文麿の有力ブレーンの一人となる。終戦後は公職追放され、解除後、早稲田大学講師となり、政治評論家としてマスコミで活躍。東京大学教授辞任後は、憲法調査会において憲法改正論をめぐり力を発揮した。東大時代に指導した中曽根康弘の相談役も務めた。

政治や大学、世相から日々の生活までを細かく記した『矢部貞治日記』は、日本の政治史の重要な研究資料とされている。1955年、拓殖大学総長兼教授に就任。初代校長・桂太郎の意図をくみ、現在に残る建学の精神「積極進取の気概とあらゆる民族から敬慕されるに値する教養と品格を具えた有為の人材の育成」を著した。また、自ら日本各地を回って講演を行ったことで、拓殖大学の知名度を全国規模に広げることに貢献した。