TAKUDAI PROFILE~拓大人物図鑑~

関東大震災後の「東京」復興に力を尽くす。

1899年、第三高等学校(現・京都大学)卒。26歳で地元兵庫県で中学校校長を務めたのち、三重県知事などを経験。その後、第三代学長であり、東京市長(現・東京都知事)であった後藤新平の助役(補佐)を務めた。その後任として、東京市長に就任。就任後まもなく、10万人もの犠牲者を出すことになる関東大震災が発生。二度と同じような被害を起こすまいという思いで、区画整理やライフラインの見直しなど、後藤新平とともに復興事業に尽力した。そして、震災から復興した東京を世界に見せるべく、1940年の東京オリンピックの誘致に成功。

しかし、これは戦乱を受け中止となる。拓殖大学においては、後藤の逝去に伴い、1929年に学長に就任。幹事、学監時代を含めれば、じつに四半世紀にわたり拓殖大学の経営に携わった。学生には、処世術や海外で働く上での心構えをテーマにした話を好んでした。その言葉は厳しかったが、愛があった。また社会で活躍するためには「活気」こそが大事だというメッセージを学生に送った。現在の拓大生の元気なイメージの原点は、この言葉にあったのかもしれない。